都心の名所を巡る東京ブレジャー「家康ゆかりのオアシスへ」

仕事の合間にリフレッシュ

 東京ブレジャーの出発地としておすすめしたいのは、東京駅やオフィス街に近く、江戸の中心だった皇居の附属庭園、皇居東御苑(千代田区千代田1-1)。約21万平方メートルの園内には、天守焼失の後に江戸城のシンボルになったとされる富士見櫓(やぐら)をはじめ、江戸の歴史を感じさせる見所が多い。
 江戸城天守閣は、1657年の明暦の大火で焼失した後は再建されず、現在では広大な芝生地に本丸跡の石垣のみが残っている。また、その芝生地を囲むようにバラ園や竹林、桜の島、野草の島など四季折々の景観が楽しめるリラクゼーション・スポットもある。都心部にいることを忘れるほど広々とした緑地の皇居東御苑は、歴史に思いを馳せながらゆっくり散策するにも、気分転換やリフレッシュにも適した名所である。
 皇居東御苑の出入門は3カ所あり、中でも地下鉄のターミナル駅である大手町駅に近い大手門が便利。だが、江戸時代の木橋の姿を残す平川橋を渡った先の平川門、江戸城一の高さを誇る石垣「平川壕」を脇から見られる北桔橋(きたはねばし)門を通るのも一興だ。

仕事運・社運向上のご利益に期待

 次に紹介するのは、江戸城の裏鬼門にあたる南西方面、東京メトロ赤坂駅・溜池山王駅至近の日枝神社(千代田区永田町2-10-5)。元は江戸城内にあった川越山王社で、家康の江戸移転にあわせて「城内鎮守の社」となり、2度の遷祀を経て現在の地に移った。ここでは万物の成長発展・産業全般の生成化育を守護する大山咋神(おおやまくいのかみ)を祀り、商売繁盛・社運隆昌を願う人々に敬われている。また、社殿前には大山咋神の使いとされる夫婦の神猿(まさる)像が鎮座。「勝る」や「魔が去る」への語呂合わせから、ご利益を求めて像を撫でる人も多い。
 さて次は鬼門にあたる北東方面に足を運んでみよう。御茶ノ水駅から徒歩で行ける神田明神(正式名:神田神社、千代田区外神田2-16-2)は、730年に創建された江戸総鎮守だ。国土開発、殖産、医薬・医療に力を発揮するといわれる大己貴命(おおなむちのみこと、大黒天)と商売繁盛の神である少彦名命(すくなひこなのみこと、恵比寿天)、平将門命(たいらのまさかどのみこと)を祀っている。家康が関ヶ原の戦いの前に祈祷し、見事勝利したというパワーにあやかって、仕事運や社運向上のご利益に期待したい。
 神田明神からさらに北東、上野駅の目の前の上野恩賜公園内にある上野東照宮(台東区上野公園 9-88)も都内屈指のパワースポットだ。家康の遺言により天海が開山したこの神社は、3代将軍家光が造営替えをして以来、江戸の大火や関東大震災、空襲などを免れ金色殿や唐門などが現存している。造営替えの際に全国の大名が奉納した灯籠は約250基も残っており、これこそ家康の強運の象徴といわれ、出世・勝利・健康長寿のご利益を求める参拝者が後を絶たない。

徳川マップ

家康のブランド戦略に触れる

 徳川の象徴といえば三つ葉葵の徳川紋だが、その紋に似た三つ葉葵がみられるのは、都営地下鉄御成門駅・芝公園駅に近い増上寺(港区芝公園4-7-35)だ。家康には三つ葉葵紋に大変なこだわりがあり、他家による葵紋の使用を禁じただけでなく、御三家でも宗家とは少し異なる紋しか使用できなかったという。
 希少性によって江戸の絶対権威の象徴となった三つ葉葵紋。徳川家の菩提寺となった増上寺のあちこちで見られる紋から家康のブランディング能力の高さを感じ取ってほしい。
 3000人の僧侶が修行をしたとされる最盛期から15分の1程度の面積になった境内だが、家康が命名したとされる「黒本尊」(阿弥陀如来像)を祀る安国殿(開帳は特定日のみ)、歴代6人の将軍が眠る墓所(有料)、宝物展示室(有料)のほか、茶室やカフェもある。ゆったりとした時間が流れるこの寺で、心洗われる1日を過ごしてみるのもおすすめだ。

ブレジャーでビジネスにパワーを

 家康が江戸にいたのは関東移封から16年、征夷大将軍任官から3年程度だが、それでもゆかりの地は都内各所にあり、紹介したスポット以外も興味深い。
 部下や敵将をも気遣うことで人望を集めたといわれる家康。天下統一を果たした家康の偉業や威光に触れることでビジネスに新たなパワーが宿り、新発想が生まれイノベーションのスイッチが入るかもしれない。さらに、都会の喧騒を忘れさせる名所なら、気分転換や英気を養う効果も期待できそうだ。次に東京を訪れる際には、ぜひビジネスに効く名所に足を運ぶ行程を組み込んだ旅を計画してはいかがだろうか。

東京郊外のブレジャースポット「武蔵国の総社 大國魂神社」

取引先や同僚への土産におすすめ「江戸の粋を今に伝える東京の名品」

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